流産を繰り返して気づいたこと、失ったこと、得たこと

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letter不育症と妊活
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流産を繰り返すこと早10年。気づけばアラフォーになっていた30代ぶどう夫婦の妻です。

実は、計10回の流産を経験し、最後の流産から2年が経ちました。

今は、正直、夫婦ふたりでも十分かなと思っています。

これだけ繰り返すと、自分の中で流産の流れが確立してしまいました。

妊娠したかも?→検査薬→病院で検査→数週間後流産確定→手術→精神病む→3か月後少し落ち着く→1年後流産のことを他人に話せるようになる→2年後、他人の子供を少しはかわいいと思えるようになる

なんだかそんな精神状態の流れができてしまいました。流産で病んだ精神は、私の場合は時とともに回復していくことを知りました。なんとなくですが、流産後の情緒不安定は、もちろん悲しみから来るのは事実ですが、妊娠関係のホルモンの影響もあるのかなと感じております。ホルモンが正常値に戻るまで、失った栄養素が満ちるまで、心が不安定になっているのだと、そう思うようになりました。

この歳になると、ベビーラッシュが少し落ち着いてきていましたが、忘れたころに届く出産報告メールにたまにアッパーをくらいます。

なにが辛いって、大切な友達の幸せ報告を心から喜んであげられないことです。おめでとう!と伝えることが精いっぱい。妊娠中、出産後の幸せ満点の彼女の顔は、私には刺激が強すぎる。

そんなこんなで、この10年、関係が薄れてしまった友達、数知れず。

最初は、子供の顔を見ることが辛いのだと思っていましたが、そうではなく、子どもを見つめる幸せそうな親の顔を見ることが辛いのだと気づきました。私には一生できない顔だから。そして、やっぱり赤ちゃんはかわいい。子どもはかわいい。

私が流産をしたことを知っているのに、私に子どもを見てほしそうにしてくる友達、一緒にかわいがってほしそうにしてくる友達、なんなら自分の子どもで癒されてと言わんばかりの友達、そんな友達には、その気持ちは受け止められないと最近ははっきり伝えるようにしています。案外こういう気持ちは、言われないとわからないものだと思うから。そんな私の気持ちも大切にしてくれる友達と付き合っていきたいと考えています。90歳になる私の祖母は、相変わらず、子どもがいない私に、「可哀想に」と言ってきますが、もう、そういうものだと諦めがついて今は笑って過ごせるようになりました。そういう教育を受けてきた時代の人だからしょうがない。なんなら、自分でさえそう思っていたのだし。

流産を通して、いかに自分が、子供が生まれるということを当たり前のことだと思っていたのかを知りました。子どもがいない人生を考えてこなかったから、いざできないと、どういう道を生きればいいのかさまよいます。敷かれたレールがない道の先。

しかし子なし生活が10年を迎え、それも一つの個性のように感じてきている私がいます。結婚しているけれど子どもがいない人生。それをどう楽しく生きるか、他に知り合いの先人がいないからこそ、比べて落ち込むこともない、自分たちが楽しいと思える新たな道を進めばいい。今は、なんだかそんな自由にわくわくしているアラフォーです。

そして、人間は強い生き物だと感じています。2回目の流産後、衝撃が強すぎて、自分が壊れるかと思うぐらい泣きじゃくる日々でしたが、その後度重なる流産を経て、その悲しみにも慣れてきている自分に驚かされます・・・良くも悪くも人間は順応する生き物のようです。もし、流産後の私と同じように、同じような状態になった人のブログを読んで共感できる人を探している人、悲しみのドン底にいる人、目をつぶると涙があふれてくる人にちょっとだけ伝えたい。流産後、辛すぎてしょうがないようね、でも、ちょっとづつ気持ちは回復してくるから大丈夫だよ!って。

ちなみに、私は流産後、精神状態が回復しなかったとき、漢方薬局で漢方を処方してもらってから、かなり気持ちが落ち着いたので、もしかしたらそのうつ状態は、悲しみから来ているのではなく、物理的に、何かしらの栄養素やホルモンバランスなど(漢方では、気・血・水)の乱れから来ているのかもしれないから、そういったものに頼ってみるのも私はおすすめします。数か月後、数年後、あなたが笑っていられますように。

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